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東北自然歩道(新・奧の細道)宮城県版 No29
杉香るもくもく路 
柳津小学校前から陸前横山駅までの8.3km
・場所:宮城県登米市津山町
・コース:津山小学校→0.3km→林業総合センター0.9km→登米市津山総合支所2.9km→柳津駅・観光物産館ゆうキャビン→もくもくランド2.4km分岐点1.4km伊達小次郎君の墓1.4km分岐点0.4km横山不動尊0.3km陸前横山駅



柳津小学校 Yahoo!地図→0.3km→
 
林業総合センター Yahoo!地図→0.9km→

登米市津山総合支所 Yahoo!地図→2.9km→

 
柳津駅・観光物産館ゆうキャビン Yahoo!地図




道の駅「津山」・もくもくランド Yahoo!地図→2.4km→








R45分岐点 Yahoo!地図→1.4km→


 
伊達小次郎君の墓 Yahoo!地図→1.4km→
伊達小次郎 墓所
・場所:宮城県登米市津山町横山字久保163 長谷寺(ちょうこくじ)
1574
 伊達氏第16代当主 伊達輝宗と母義姫の二男として生まれる。
1590年
 伊達政宗に殺害され死去
 豊臣秀吉が天下統一を進め、関東以北制圧の第一歩として小田原城を攻撃した際、政宗はじっくりと戦況を見極めた後、参陣を決意します。そのとき、弟である小次郎を伊達家の藩主にしようとしていた母は、出陣を祝ううたげを装って、毒殺を企てますが失敗します。
 小田原参陣を目前に、政宗・小次郎、両派の対立が明らかになり、政宗は藩内の意志を統一しようと、
「そちに罪はないが、母の罪を問う事はできぬ」と自らの手で小次郎を手打ちにします。
 輝宗の次男。政道(まさみち)と名乗ったとも云われる。蘆名家への養子の話があったが、佐竹家から義広が養子に入ったため、伊達家と蘆名家との関係が悪化した。
 1590年政宗が毒を盛られた事件が起こった際に誅殺された。
・小次郎の遺体は、伊達家の領地であった福島県内の寺に埋葬されましたが、後の国替えによって、旧葛西氏・大崎氏の領地が与えられ、横山の地を母の化粧領地と定めた際に、この地に改葬されました。



 


R45分岐点→0.4km→

横山不動尊→0.3km→
 白魚山大徳寺(横山不動尊)1156年
 東北36不動尊霊場第26番札所・奥の細道霊場第9番札所
・場所:宮城県登米市津山町横山字本町3 Yahoo地図
 日本三不動の一つに数えられ、国の重要文化財で、弘法大師の御作と言われる高さ約5mの木造の不動明王が安置されています。
 駐車場(普通:20台)
 大祭は毎年4月と10月の27・28日に行われています。
 文:横山不動尊HPを参照
不動堂
 旧不動堂は1927年に焼失、1928年5月7日に完成
 建築流儀は本林流宝塔造り、気仙大工の名工花輪喜久蔵の作
 彫刻は石井寅正の作



鳳凰も立派




木鼻


木鼻



木鼻


頭貫



手挟



紅梁 鶴



紅梁 鶴


手挟 鶴



頭貫 龍








不動明王御尊像
 弘法大師の作と伝えられる高さ5mの木造座像
 平安時代の像といわれ国重要文化財に指定
 胎内には金の尊像が納められている。
 寄せ木造り(カツラ材)、像高275㎝、重量約300㎏



 胎内には黄金の尊像が納められています。
 この像は保元の頃(1156~1158年)百済国から渡来したもので、この尊像を横山の中の森山中央に祀ったのが横山不動尊の始まりと伝えられています。


横山不動尊
白鳥 省吾(しろとりせいご)は本名
「(しろとり・しらとり)(しょうご)はペンネーム時の読み方
加茂川の 水清みかも うぐひらは 靡く玉藻に 透きて泳げり
 意:
 国天然記念物「
うぐい

 1953年(昭和28年)来遊の際に詠んだ句
 1990年(平成2年)西條邦泰氏他建立
2012.5.20


うぐい


うぐい



秀明菊 うす紅の上乃 五重塔
 句意:
 
青銅五十塔:宮城県重要文化財
 1953年(昭和28年)来遊の際に詠んだ句
 1990年(平成2年) 西條邦泰氏他建立
2012.5.20


2012.5.20


2012.5.20



 
陸前横山駅